プロフィール

Profile プロフィール~わたしの原動力

目安時間 13分
  • コピーしました

私はかつて、最も身近な人を救うことができず、大きな後悔を抱えました。

その後悔から得た教訓を胸に、臨床現場の栄養管理に従事してきました。

ここでは、その原点となった思いをお話させてください。

経歴

職歴22年のうち20年間を、東京都千代田区にある急性期総合病院で勤務。

ICU、内科、外科、緩和ケア病棟を含む全病棟、29の診療科の栄養管理に従事。

上司・同僚に恵まれ学会発表や論文・医学書・医学雑誌の執筆を経験。

日本病態栄養学会NST臨床研修施設※ として、院外医療スタッフへの研修指導を担当。

介護のため、2025年に退職。

 

※NST:(Nutrition Support Team 栄養サポートチーム)

保有資格

管理栄養士国家資格のほか、以下の認定資格を保有(2025年現在)。

  • がん病態専門管理栄養士研修指導師
  • 糖尿病療養指導士
  • 病態栄養専門管理栄養士
  • NST専門療法士
  • 1981年 埼玉県与野市生まれ
  • 1996年 タイバンコク日本人学校中学部卒業
  • 1999年 大妻嵐山高等学校卒業
  • 2003年 大妻女子大学卒業
  • 2003年 委託給食会社に入職
  • 2005年 東京逓信病院 栄養管理室に入職
  • 2025年 介護のため同病院を退職
大正生まれのオシドリ夫婦

私の祖父と祖母は大正生まれのオシドリ夫婦で、

孫の私たちはいつも二人の愛に守られていました。

 

祖母は晩年「長生きしすぎたわ」というのが口癖で、その後心の不調をきたしました。

祖父は祖母をケアするため、

終の棲家として整えた自宅を手放し、介護施設に夫婦同室で入所しました。

休みの日にはよく会いに行ったものです。

 

あるとき、祖母は誤嚥性肺炎を発症し入院しました。

抗生剤治療により軽快したものの、食事を摂ることができませんでした。

 

高齢者における咀嚼・嚥下機能の低下はよくみられることで、その対応は私の専門分野の一つです。

食事量の少ない状態が続く場合は、点滴を併用し栄養を補給することがあります。

 

ただし、腕などの細い末梢血管からの栄養投与にはタイムリミットがあり、

2週間を目途に他の方法に切り替える必要があります。

十分な栄養を投与しにくいというデメリットや、血管の炎症を防ぐ目的です。

 

そのためそれ以降は、

・太い血管から栄養を入れるか、

・胃や腸に小さな穴(胃瘻・腸瘻)をあけて栄養を注入するか、

・場合によっては強制的な栄養投与を控え自然の流れに任せるか、

いずれかの方法を選択する必要があります。

 

胃瘻つくりますか? or ナチュラルにいきますか?

私はある日、祖母の栄養補給法として、

「胃瘻を造設するのか、またはナチュラルコースを選ぶのか、医師から決断を求められている」

ということを家族から聞かされました。

私が聞いたタイミングはおそらく、点滴が開始されてから4週目に差し掛かる頃でした。

 

小柄で予備力のない91歳の祖母にとって、末梢点滴で3週間以上過ごすというのは、

じわじわと栄養を削ってジリ貧状態を作り出すのと同じようなものです。

 

細い末梢血管からの点滴であっても、炎症が落ち着いていれば、

少し濃い組成に変更することもできますし、

点滴に適量の油分を加え、適切なスピードで投与することによって栄養量を増やすこともできます。

 

特に家族の決断を待っている状況においては、

採血結果をみながら、食事量と点滴量のバランスをとり、ジリ貧状態にしない、

ということが栄養管理に求められます。

しかし伝え聞いた話をつなぎ合わせると、

祖母においてはその調整が十分にされていたようには思えませんでした。

 

最期をどうしたいのか、元気なうちに相談しておくのがおススメです。

さらに臨床現場ではよく見る光景ですが、

祖母の今後の方針について、家族の中で意見が割れていました。

・ナチュラルコースを受け入れてもよいのではないかという意見や、

・そうは言っても諦めきれない祖父の心情に、

・もはやどうしたらよいのか分からないという嘆き。

家族が迷っている内に1週間はすぐに過ぎ去ってしまいました。

 

私の一番の後悔は、自分の専門分野であるというのに、

祖母がどのように栄養管理されているのか、情報収集を十分にできなかったところにあります。

 

当時の私は、働きながらひどいつわりに悩まされ、

毎晩倒れるように帰宅し、命のバトンをつなぐのに必死でした。

 

三人の子どもを産んだ今の私であれば、

つわりがどれだけひどくても、吐き続けながらでも、

祖母と医師に会いに行き、積極的に関わっていたと思います。

しかし、あの時の私にはできませんでした。

 

結局、予備力のない状態で胃瘻を造設された祖母は、

その後上向くことなく息を引き取りました。

ひ孫の顔を見てもらうことは叶わず、祖母は出産1か月前に亡くなりました。

 

後悔の嵐・・・

これまで約3万人の患者さんに栄養管理をしてきたというのに、

たった1人、

無償の愛を注いでくれた最愛の祖母に、十分なサポートをしてあげられませんでした。

 

 

何が栄養管理だ。

何がチーム医療だ。

どれだけの症例数をみてきたと思っているんだ、何のためにこの仕事をしてきたのか。

 

あの時、もっと早く知っていればできることはたくさんあったのに。

専門家として、関わる家族全員に適切な情報をより丁寧に説明できたはずなのに。

何より医師に相談の場を設けてもらえるよう働きかけるべきでした。

自分の専門分野なのに、祖母と、苦しむ家族を支えられませんでした。

 

あの時適切に関わることができていれば、おそらく胃瘻を造設しなかったでしょう。

悲しんで見送るのではなく、大往生おめでとうと家族で言い合えたはずです。

お葬式の時に泣くのではなく、

おばあちゃんすごいよね~!と、見送る家族は笑顔にもなれたでしょう。

 

後悔の念と、その医療機関に対する疑問もあいまって、どのように向き合えばよいのか悩みました。

そして悩み抜いた末に行き着いたのは、

祖母の死から得た教訓を、医療現場に生かすことが自分の役目だという気づきでした。

 

医療現場における自分の役目

私がよく、家族が健康なうちに

どのような最期を迎えたいのか話し合っておくことを薦めするのは、この経験からです。

 

そもそも、医療機関によって栄養管理に温度差があるのはおかしなことで、

この格差をなくしていかなければなりません。

 

同じことが起こらないよう、粛々と患者さんの栄養管理に向き合いましたし、

医療従事者同士で学び合うチーム医療にも一層力が入りました。

目の前の患者さんを自分の本当の家族と思って接してきましたし、

チーム医療における自分の役割を全うしようと努めました。

 

そして8年が経過し、私のキャリアに転機が訪れました。

 

義両親が病いに倒れ、

介護のため夫のふるさとである愛媛県今治市に転居することになったのです。

紆余曲折を経て、医療の現場を離れることになりました。

 

医療現場を離れたら、私に何ができるのか。

しかしまた、新たな悩みが生まれました。

私から病院管理栄養士の仕事がなくなったら何ができるのか。

臨床現場における私の使命は十分に果たせたのだろうか。

臨床の場を離れてもなお、私には責任があるのではないか。

育児と家族のケアに並行しても、今ならまだ余力がある。

 

悩み、迷い、色々な人生の先輩に会いに行きました。

自分がすべきことを探し、ようやくその方向を見定めることができました。

 

これまでの22年は、患者さんの栄養管理に邁進してきましたが、

これからは患者さんではなく、将来患者となるリスクを抱える方々の健康を、

医療機関の外側から守ることが私の役割であると考えるに至りました。

 

まだ医療機関にかかっていないが健康不安を抱える人、

あるいはすでに健康リスクを指摘された人に対して、

適切な食のあり方を広めることこそが私の存在意義だと考えます。

医療機関の外側で、

まず私が貢献できることは、生活習慣病の退治であると考えています。

 

生活習慣病を日本から消してしまおう。

生活習慣病は唯一、自分でコントロールできる病気です。

医療機関でしか治療できない病気でもなく、

また医療機関であっても治療できない病気とも異なります。

 

生活習慣病は、

やろうと思いさえすれば、

コントロール良好な状態へ持っていくことができる、ただ一つの病気なのです。

 

病気になったら病院に行けばいい、

検査結果が悪くても薬を飲めば何とかなる、ではなく。

 

本来であれば自分の健康は自分で守る。

そのための健康リテラシーを持っておくべきですし、

それは自分だけでなく、大切な家族を守ることにも直結します。

 

もし近い将来、皆保険制度が消えてしまったとしたら、

あなたは自分と大切な人を守れますか?

 

皆保険制度の半面、日本人の予防医療への関心は高いとはいえず、

健康リテラシーも十分にあるとは言えないのではないでしょうか。

 

どれだけあなたがその道のスペシャリストだとしても、

どれだけあなたがその人を大切に思っているとしても、

肝心な時に支えられないようでは、後に残るのは後悔ばかりです。

そんな思いを私は二度としたくありませんし、あなたにもしてほしくありません。

 

医療機関の外で働いたことがないので、外に出た私に何ができるのか、

どのように取り組めばよいのか分からず、しばらく立ち尽くしていました。

 

しかし、

自分に課せられた責任を過小評価するのはやめることにしました。

 

 

実は、そんなに時間はないかもしれない。

私が発する情報によって、

あなたの身体がもっと健康になるかもしれませんし、

今あなたが晒されているリスクをあなたに伝えることができるかもしれません。

あなたの健康リテラシーが向上することによって、あなたの大切な人を守ることにも繋がるかもしれません。

 

今は忙しいから区切りがついてからにしようとか、もう少ししたら向き合おうとか、

そんな風に先延ばししている内に、

本当であれば守れるはずの、あなたやあなたの家族、大切な人の健康を損なってしまうかもしれません。

私にもあなたにも、先延ばしできる時間は実はないのかもしれません。

 

だから、あなたとあなたの大切な人の健康を守るために、

全力で、持てる限りの知識と経験をお届けします。

 

 

 


 

無料メルマガ講座への登録はこちらから


無料メルマガ登録はこちら

  • コピーしました

この記事に関連する記事一覧

この記事を書いた人

村上裕梨
村上裕梨

1981年生まれ。父の海外赴任に帯同し、中学時代をタイ・バンコク日本人学校で過ごす。 料理好きの母の影響と、バンコクで触れた世界各国の食文化をきっかけに、食の世界に興味を抱く。 「医食同源」──食の持つ力に魅せられ、管理栄養士となる。 委託給食会社で病院給食業務を2年経験したのち、東京都千代田区の急性期総合病院に転職。 以降20年にわたり、乳児から超高齢者まで、ICU・内科・外科・がん緩和ケアを含む29科の栄養管理に従事。 医学雑誌・医学書・論文執筆、学会発表経験多数。 2025年、義両親の介護を機に退職。 現在は夫と3人の子どもとともに、瀬戸内海の島を拠点としながら千代田区との二拠点生活を送っている。 医療機関を離れた今も、生活習慣病の予防・改善を目的とした食事療法の普及に取り組んでいる。

詳しいプロフィール

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 

村上 裕梨
Yuri Murakami

【プロフィール】

管理栄養士

病院勤務22年

乳児から超高齢者、ICUから内科・外科・緩和ケア病棟まで29の診療科の栄養管理に従事。

【略歴】

2003年 委託給食会社に就職
2005年 東京逓信病院に入職
2025年 介護のため退職

【保有資格】

管理栄養士免許
《認定資格》(2025年現在)
糖尿病療養指導士、がん病態栄養専門管理栄養士研修指導師、病態栄養専門管理栄養士、NST専門療法士

👉 noteも読む